大阪地方裁判所 昭和38年(行)3号 判決 1965年10月30日
原告 大阪市
被告 大阪府国民健康保険審査会
訴訟代理人 道工隆三 外二名
主文
被告が訴外柳沢操の審査請求につき昭和三七年九月六日付でした決定を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一双方の申立
一、原告
主文同旨の判決を求める。
二、被告
(一) 本案前の申立
「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求める。
(二) 本案に対する申立
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求める。
第二双方の主張
一、請求原因
(一) 原告は昭和三六年四月一日以降国民健康保険法(以下単に法というときは同法を指す)第三条第一項に基き保険者として国民健康保険事業を行つているものである。
(二) 訴外柳沢操(当時山村操。以下操という)は同年三月三一日大阪市西成区役所に出頭して、大阪市西成区津守町西三丁目一番地(以下本件場所という)へ転入したから原告の実施する国民健康保険事業の被保険者資格を取得した旨届出てきた。しかし、原告は調査の結果同人が大阪市の区域内に住所を有せず、従つて被保険者資格がないものと認めて、被保険者証を同人に交付しなかつたところ、再三にわたり同人からその交付を求められたので、昭和三七年二月一五日西成区長名でこれに応じられない旨を同人に通知した。同人は原告の右処分を不服として同年五月一六日付で被告に審査請求をし、被告は同年九月六日同人が本件場所に住所を有することを理由に、原告の行つた処分を取消し、同人を原告の行う国民健康保険の被保険者とする旨の決定をし、右決定書謄本は同年一〇月一九日原告に送達された。
(三) しかし、右決定には後記(五)のような違法があるので、原告は被告に対しその取消を求める。
二、請求原因に対する被告の答弁
(一) 請求原因(一)の事実を認める。
(二) 同(二)の事実を認める。
(三) 同(三)の事実を争う。
三、被告の本案前の主張
原告は本訴を抗告訴訟として出訴する適格を有せず、また被告の審査決定は機関訴訟の対象とはなり得ないから、いずれにしても本訴は不適法として却下されるべきである。
(一) 行政事件訴訟法第三条にいう抗告訴訟の対象となるのは原則として行政庁の処分であり、かつその処分は国民の権利義務に直接影響を及ぼすものでなければならないのであつて、右訴訟の目的は違法な行政処分により侵害された国民の権利利益を救済するところにある。一方行政不服審査法は「行政庁の違法または不当な処分その他公権力の行使に当る行為に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立の道を開くことによつて、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的と」(第一条)して、行政不服申立制度を設けている。
この両制度は不服申立により自己の権利利益の救済を実現できなかつた国民がさらに抗告訴訟により司法裁判所にその救済を求めるという関係に立ち、国民の権利利益の救済という目的において何ら異るところはなく、全体として合理的な抗告争訟制度を構成し、等しく公権力の行使の相手方たる国民に対しその権利利益の救済を求める道を確保しようとしているといえる。
そうだとすれば、このような抗告争訟制度としては権限ある裁決庁が行政庁側の非を認めて国民の権利利益を救済すれば、その目的は達せられるのであるから、原処分庁が裁決庁の裁決を違法または不当としてこれを争うことを認める余地はないものといわなければならない。行政事件訴訟法自体には原処分庁が裁判取消訴訟を提起できないとする規定はないが、もしこれを提起できるものとすれば、国民の権利利益を救済した裁決の取消を求めることとなり、前記のような抗告争訟制度を設けた法の趣旨ないしそれに内在する性質に反するから、原処分庁が裁決に対し抗告訴訟を提起することは許されないものと解すべきである(最高裁昭和二四年五月一七日判決、民集三巻六号一八八頁参照)
これを本件についてみると、操は原告に対し被保険者証の交付を請求したところ、拒否されたので被告に審査請求し、被告が同人の言い分を認めて原処分を取消す旨の裁決をしたのであるから右裁決により同人の権利利益は救済されたものというべく、原告がその取消を求めて出訴することはできないものといわなければならない。殊に、法第一〇三条が審査請求前置主義をとり審査請求に対する裁決を経た後でなければ出訴できないとしていることからすれば、原処分に対する審査請求人と裁決取消訴訟の原告とが同一人であることを読みとれるのであり、右の結論を支持する一つの根拠となる。
(二) さらに、行政組織内部における行政庁の相互関係という観点からも同様の結論に達する。
すなわち、行政組織は極めて複雑多岐な公権力の行使について、行政庁相互に連絡協調を保ちながら、全体として総合的、統一的かつ能率的に事務を処理するのに適した組織であることが要求されるが、そのためには上級行政庁の意思に優越的妥当力を認め、下級行政庁はこれに従うということでなければならない。けだし、「上級行政庁の下級行政庁に対する権限行使につき、当該下級行政庁が上級行政庁の権限行使を越権行為ないし権限濫用とし、その他違法もしくは妥当を欠くものであるとしてこれに服せず、そのため当該下級行政庁の権限が侵害されたものとして行政訴訟によつて司法審査を求め、裁判所がまたその適法違法を判断して違法とする場合に取消し、或は無効を確認することになれば、行政組織内部の上下系統における上下両庁間の行政権の運用は、すべて司法権によつて制約され、行政機能は重大な阻害を受けることになる。」(札幌地裁昭和三一年一月二八日判決、行集七巻一号一二九頁)からである。従つて、このような場合の紛争は法律で特に裁判所の審査権限を明定していない限り行政庁自らが行政の自律作用として解決すべきである。
右の関係は、行政庁のなした処分に対する国民の不服を行政組織の内部において解決することにより行政組織の統一性を確保し、かつ行政処分の適正を図り、結果的には一定の行政処分がその組織原則からして相手方たる国民に対し一体となつてあらわれることを期している行政不服審査制度(本件当時は訴願制度)における原処分庁と審査庁との相互間にも妥当するのであつて、原処分庁は審査庁のなした裁決にいかに不服であつてもその取消を求めて出訴することはできないものと解すべきである。行政不服審査法第四三条第一項の「裁決は関係行政庁を拘束する」との規定は国民に対する関係でこの点を明文化したに過ぎず、原処分庁と審査庁との間の紛争は法律に特別の定めがない限り裁判所の権限に属さず、政治的に解決されるほかないものといわなければならない。
(三) そこで、原告と被告との関係について考えてみるに、法第三条は市町村及び特別区が国民健康保険を行うものとし、第四条は「国は国民健康保険事業の運営が建全に行われるように努めなければならない。都道府県は国民健康保険事業の運営が健全に行われるように必要な指導をしなければならない」と規定している。これらの規定によると、市町村及び特別区はいわゆる団体委任事務として国民健康保険事業を行うが、全くその自主的な運営に委ねられているわけではなく、運営の最終責任者は国であり、市町村及び特別区を包括する広域の地方公共団体たる都道府県がこれらの保険者を指導するものとされている。従つて、訴外大阪府は国民健康保険事業に関し原告を指導監督する関係にあるといえる。もつとも、国は右事業の健全な運営を確保するための指導監督として必要な事項についてはこれをいわゆる機関委任事務として都道府県知事に処理させているので、この関係では知事は国の機関委任事務としての市町村に対する監督上の権限を行使することとなり、結局原告は法に基く訴外大阪府の指導及び訴外大阪府知事の指導監督を受けることとなる。
ところで、被告は法第九一条が保険者の処分に対する審査請求を認めたのに伴い、これを審査する国の機関として法第九二条に訴き基外大阪府に設置されたものであり、その趣旨は保険者の処分に対する不服申立を被告に審査させることにより訴外大阪府の指導監督の実効を挙げ、原告を含む各市町村の行う国の事業としての国民健康保険事業の適正な運営を期するところにあるといえる。従つて、被告の裁決は訴外大阪府の一連の指導として理解されなければならず、国の行政機関(形式的には訴外大阪府の機関)として右のような権限を行使する被告は原告に対し上級の行政庁ないし監督指導行政庁にあたるといわなければならない。すなわち、被告は行政不服審査法第五条第二項後段の「当該法律に定める行政庁」に相当し、同条第一項第一号にいう通常の上級行政庁とはその成立の法的根拠及び権限を異にするが、これを第三者機関と呼ぶかあるいは他の名称で呼ぶかはともかく、同法上第五条第一項第一号の上級行政庁と同列に取扱われ、その意味での機能を果すべく規定づけられているのであり、通常の上級行政庁換言すれば行政組織上当然の上級行政庁のように処分庁に対する一般的な指揮監督の権限を有しないとはいえ、前記のような国民健康保険行政に関する国、都道府県、知事、市町村の関係からして、保険者のなした保険給付に関する処分(被保険者証の交付の請求に関する処分を含む)または保険料その他法の規定による徴収金に関する処分に対する不服申立の審査を通じて、その限度において保険者たる原告に対し一定の特殊限定的な指導監督権を有するものといわなければならない。
そうだとすれば、行政組織原則により原告が被告の裁決に対し出訴して争うことは許されないのであり、改正前の法第一〇六条及び改正後の法第一〇二条(行政不服審査法第四三条第一項)の裁決の拘束力に関する各規定はいずれもこの趣旨である。他に出訴できる旨を定めた法律の規定は存しない。
以上の関係は被告を第三者機関と理解する場合でも同様であつて、原処分庁たる原告が裁決の取消を求めて出訴することはできないものと解すべきである。
(四) また、原告が本訴において取消を求める被告の裁決は機関訴訟の対象とならないから、いずれにしても本訴は不適法であり許されない。
四、被告の本案前の主張に対する原告の反論
原処分庁たる原告は本訴の原告適格を有しない旨の被告の主張は法の解釈を誤つている。
(一) 原告は国民健康保険の保険者として被保険者から保険料を徴収し、かつこれを保険事故が発生した場合に支給すべき保険給付にあてるため被保険者全員のために保管するものであつて、保険者たる原告には常に保険給付が適正に行われるよう図るべき職責がある。右の点に着目すれば、私人の行う保険事業と国民健康保険事業とは何ら異るところはなく、たゞ後者についてはその目的ないし性格から法がこれに公法的色彩を付与し、保険者が公法上の権限を有することがあるに過ぎない。
もし原告が被告の決定に従うならば、操の支払うべき療養費三〇四、四七〇円のうち同人の負担する二割相当額(大阪市国民健康保険条例により世帯主である被保険者が負担する療養費の一部負担金の割合)を除く金二四三、五七六円の支給義務を負うこととなり、違法の支出さえ行わざるを得ない結果を招き、被保険者全員にとどまらず、保険者たる原告にも明らかに損害を与えるものといわなければならない。このように行政庁の違法な処分により具体的な権利ないし利益を毀損された場合には、原告は権利主体(公法人)として進んで右処分の取消を求めて出訴し得るものというべきである。行政事件訴訟法第九条が「裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者」と規定し、争うべき行政処分及び原告適格を限定していない点からみても原処分庁たる原告は権利主体として原告適格を有すると解するのが現実の法律関係に即している。
(二) 原告と訴外大阪府知事ないし被告とは原告主張のように下級行政庁と上級行政庁の関係にはない。
なるほど法第一〇八条により厚生大臣または都道府県知事は、保険者について必要があると認めるときは、その事業及び財産の状況に関する報告を徴し、または当該職員に実地にその状況を検査させることができるが、これをもつて直ちに訴外知事が原告に対し指揮監督権を有する上級行政庁であるということにはならない。すなわち、法の趣旨から明らかなように、国民健康保険に関する事務は公共団体たる市町村のいわゆる団体委任事務であつて、国の機関委任事務ではない。後者については地方自治法の規定により市町村長が都道府県知事の監督を受けるのはその事務の性質上当然であるが、前者については国は公共団体の自主性を尊重して指揮監督を行わず、公共団体の責任においてその実を挙げさせることとし、個々の法令において国の指導助言を認めることはあつても、これは指揮監督関係におけるように行政庁間に上級下級の関係を設定するものではない。前記法第一〇八条にいう報告の徴収等も国民健康保険事業の適正な運営を図るため特に厚生大臣ないし都道府県知事に保険者に対し指導助言を行う権限を認めたにとどまり、もしこれに包括的な指揮監督という指導助言以上の強い意味を認めるのであれば、実質的には国の機関委任事務と異るところがなく、地方自治の本旨に反するものであろう。
仮に一歩退いて訴外知事が原告に対し指揮監督権を有するとしても、被告は訴外知事とは別個の機関であり、法により国民健康保険に関する不服申立の審査につき独立した準司法機関としての権限を付与されているものであるから、原告の上級行政庁になり得る道理がない。
(三) 被告は行政不服審査法第四三条第一項(本件については同法の施行による改正前の国民健康保険法第一〇六条)の解釈を誤つている。
すなわち、右規定にいう「裁決は関係行政庁を拘束する」とは、関係行政庁にあつては裁決が確定した後には裁決の趣旨を尊重して必要があれば原処分の変更などの措置をとるべき義務を負い、同じ事情のもとでは裁決に反する行政処分を行うことができないとの意味に解すべきであつて、被告主張のように、右の拘束力が、出訴期間を経過することによつてもはや裁決を争い得なくなるといういわゆる形式的確定力の生ずるまでもなく、裁決を争い得る余地を否定するものとは解することができない。
裁決がなされたときはその取消を求める訴訟の結果これが取消されない限りその拘束力を否定し得ないことはいうまもでないが、それだからこそ裁決により権利ないし利益を毀損された者は形式的確定力の生ずるまでにその取消を求めて出訴できる筈である。たゞ例外として行政庁間に一般的な指揮監督の関係がある場合には、上級下級の関係において命令の統一を期する行政組織の特色から、その間の紛争については行政組織内部の解決をまつほかなく、裁判所の判断を容れる余地がないのである。
また、前記規定は裁判の拘束力を受ける者として関係行政庁のみを挙げているが、これは原処分の相手方その他の利害関係人が裁決の趣旨を尊重しこれに服従するのは当然のことであるからであつて、決して拘束力の及ぶ範囲を行政庁のみに限定する趣旨に出たものではない。このことは行政事件訴訟法第三三条に同様の規定が存することからも十分うかがえるのであり、このように解することによつて右規定は統一的に理解できるのである。けだし、そうでないとすれば、社会保険審査官及び社会保険審査会法第一六条「決定は………保険者その他の利害関係人を拘束する」に例をとつた場合、処分庁と処分の相手方を含む利害関係人とがいずれも決定に拘束されるにもかかわらず、一方はもはや決定を争い得る余地がないのに他方はなお争い得ることとなつて場合によりその意味を異にするという奇妙な結果をきたすからである。
(四) 行政機関は終審として裁判を行うことができず(憲法第七六条)、前記のように行政組織内部の解決にまつべき要請がある場合は格別、必ず最終的には裁判所による審査の余地が残されていなければならない。これを国民健康保険に関する原告の何らかの処分につき被保険者から審査請求があつた場合について考えてみると、審査庁たる被告が審査請求を棄却し、被保険者がさらに原告を相手に原処分の取消を求めて出訴し、裁判所において被保険者の請求が認容されたときには、原告はこの判決に対し当然上訴できるのに、他方本件のように原告の上級行政庁でもない被告が被保険者の審査請求を認容し、原処分を取消したときには、原告は出訴できないというのであれば、原告は同一事件でありながら結局裁判所の審査を受けられないという不均衡を生じ、不当である。
東京地裁昭和二六年五月一一日判決(行集二巻六号九五三頁)及び東京高裁昭和三〇年一月二七日判決(同六巻一号一六七頁)はこの点を示唆するものであり、船員保険の保険者たる厚生大臣は保険審査官の決定に対し船員保険審査会に審査の請求をすることができると解し、後者はさらに進んで裁判所への出訴をも明快に認めている。その所論は同様に社会保険の一種である国民健康保険についても妥当するものと考える。
すなわち、前記のように被告は保験者たる原告の上級行政庁ではなく、被保険者、保険者及び公益を代表する各三名の委員をもつて構成され、審査の決定にあたり出席委員の意見が可否同数に分れた場合には、公益代表委員の一人である会長の決するところによることなどから推して、この審査制度は原処分庁ないしその上級行政庁に対し原処分の違法ないし不当を主張する一般の不服申立とはその本質を異にし、その対象となる処分の違法か否かを第三者的立場から判断し決定するため一種の準司法機関としての審査機関のなす簡易な訴訟手続の実質を有するものといえる。従つて、右審査手続のもとでは原処分庁及び受給者が当事者として対等の地位にあり、審査決定に不服がある場合には当事者双方とも不服申立の権利を有することはその手続の本質から当然要求されるところである。もし被告のなした審査決定が違法と考えられる場合に保険者たる原告が裁判所の判断を求められないとすれば、受給者に審査決定を争う権利が与えられているのに比し甚しく均衡を失する結果となるのであつて、法がこのような結果を容認しているとは到底解することができない。この点から考えても原告は出訴権を与えられているものというべきであり、被告の本案前の主張は理由がない。
五、原告の本案についての主張(被告の決定を違法と主張する事由)
(一) 操の住所について
操は原告の国民健康保険実施以前から大阪市の区域内に住所を有しないから、同人が大阪市の区域内である本件場所に住所を有することを前提としてなされた被告の決定には事実を誤認した違法があるといわなければならない。
1 操は昭和三四年一二月八日肺結核のため大阪府貝塚市名越町所在国立療養所貝塚千石荘(以下千石荘という)へ入院したものであるが、昭和三六年三月三一日同荘を一時退院したうえ、同日それまで住民登録のなされていた奈良市西大寺町三二六番地から本件場所へ転入届を行い、三日後の同年四月三日に同荘へ再入院している。原告の調査したところによれば、同人は当初の入院の際にも本件場所に生活の本拠を有した事実は認められず、一時退院中の三日間を除き同荘に引続き入院しているものであつて、入院中の期間はもとより右の三日間でさえ本件場所に居住した事実がない。右一時退院の理由は、原告の実施する給付条件のより国民健康保険の被保険者となり、その保険給付を受けようとする意図のもとに大阪市の区域内に住所を有することを偽装するためという以外に認めることができず、同人は事実を偽つて、同保険実施の前日に急拠転入届を行つたものである。
原告が調査の結果操主張の本件場所を同人の住所と認定しなかつたのは、右のほか次の理由による。
(1) 入院前の昭和三四年九月一五日現在において選挙人資格調査を行つた際の調査票に同人の記載がなく、昭和三六年までの選挙人名簿にも同人に関する記載が全くないこと
(2) 原告が国民健康保険の実施に先立ち対象者を把握するため昭和三五年二月一日現在において全市民の悉皆調査を行つた際の調査票に同人に関する記載がないこと
(3) 同人は当初の入院手続の際住所を大阪府泉北郡高石町南九三三番地実父柳沢清作方(代下実父清作方という)として届出ているほか、昭和三四年七月一四日奈良家庭裁判所に前夫山村俊彦との離婚調停を申立てた際には住所を奈良市西大寺町三二六番地として届出、同年一二月二日付でこれを実父清作方に変更し、さらに入院後に至り千石荘内に変更していること
(4) 同人の昭和三六年三月末日までの入院費及び生活費は実父清作において負担し、同人の実子山村保之も実父清作が自宅で扶養していること
(5) 同人は単身者であり、原告に被保険者証の交付を申請した後も長く入院していたこと
(6) 同人の生活保護法による医療扶助の給付申請につき昭和三六年一二月一日西成福祉事務所葉山係員が同人に面接し、その結果作成したケース記録によると、同人は昭和三四年六月以降堺市大浜北町の実妹柳沢和江方に同居していた旨述べており、また、同人の本件被保険者証交付申請につき西成区役所平岡係員が昭和三六年四月一〇日実妹和江から事情を聴取した際の調書によると、和江は同人は昭和三三年以降昭和三四年ごろまで神戸方面へ行つていたが、実父清作方へ帰り、発病して千石荘へ入院した旨述べていること
以上のような事実を総合すると、操は本件場所に居住した事実がないことはもとより、居住の意思が真実あつたかどうかさえ疑われ、全くの方便として住民登録を利用したものというのほかない。従つて、原告は本件場所を同人の本件被保険者証交付申請当時の住所と認定しなかつたものであり、被告が事実の認定を回避して専ら住民票記載の本件場所こそ同人の公法上の住所であると認定したのは失当といわざるを得ない。
さらに、本訴における証拠調の結果によつても、操が入院前に居住していたという本件場所在吉見電機工業株式会社の社宅の一室は同人の入院後は同社の住込工員の食堂として使用され、同時に実妹和江夫婦の居住するところとなり、単に操の家具類だけが廊下の一隅に保管されていたに過ぎず、同人の居住の実態は失われていたというべきである。現に同人は退院後一旦右社宅に帰つたものの、右のように入院前に居住していたという部屋を使用できないため和江夫婦が新築した組立ハウスを借りて僅か二ケ月位の期間居住しただけで、現在の大阪市浪速区桜川二丁目九三五番地光永荘内に転居している。右の事実だけからでも操が本件場所を住所として長期にわたり定住し得ない状態にあり、かつ同人にその意思もなかつたことをうかがうに十分である。
2 このようにみてくると、操の住所は原告の国民健康保険実施当時すでに入院中の千石荘にあつたというべきである。
すなわち、昭和二七年六月七日民事甲第八一一号法務省民事局長通達によれば、「結核療養所に入所中の者については、その療養中の場所を生活の本拠としているかどうかを個々にその具体的事実に基いて認定すべきである。即ち、本人の病状、療養の目的、自宅との関係、本人の意思その他の事情を考慮の上、長期療養を要する客観性が十分認められ、本人が当該療養所を生活の本拠としていると認められる場合は」その療養中の場所をその者の住所として「認定してさしつかえない」ものとしている。
これを操について具体的に考えてみるに、同人の証言によると、入院当初の診断では約一年で治癒する程度の病状だつたというが、転入手続を行うため一時退院した際にはすでに入院後一年四ケ月を経過しており、その後なお長期にわたる加療の必要が予測されていた。加えて、同人は発病前すでに退職しており、その後何ら職を持たず、さらに実子を実母柳沢八重子に託し、操自身は独立した世帯を形成する家族関係もなく全く単身者と同様の状態にあつたのであるから、療養のみが同人の生活のすべてであつたといえる。換言すれば、同人には職業生活上の本拠及び家庭生活上の本拠はなく、たゞ療養生活上の本拠が認められるに過ぎない。従つて、結局同人の住所は入院中の千石荘以外にあり得ないのであり、もとより一時退院の事実は右の結論を左右するものではない。
仮にそうでないとしても、同人の実父清作が同人の生活費、療養費その他の全費用を負担し、実子の養育を引受けていた点から判断すれば、同人は実父清作の扶養家族としてその生計に属していたものであり、前記実父清作の住所に生活の本拠を有していたものというべきである。
(二) 国民健康保険法の適用除外について
仮に操の住所が被告認定のように本件場所にあつたとしても、同人については国民健康保険法の適用が除外されるから、同人に国民健康保険の被保険者資格があると認めた被告の決定は違法を免れない。
すなわち、同法第六条第四号は健康保険法(大正一一年法律第七〇号)の規定による被扶養者についてはその適用を除外しているところ、同人は昭和三四年六月吉見電機工業を退職後前記のように収入を得る特別の手段もなく、生活費、療養費等をすべて健康保険法上の被保険者であつた実父清作に依存していたのであるから、まさしく同法第一条第二項第一号の「………主トシテ其ノ被保険者ニ依リ生計ヲ維持スルモノ」に該当し、同法の規定による被保険者の被扶養者として国民健康保険法の適用を除外されるものといわなければならない。
六、原告の本案についての主張に対する被告の答弁及び反論
(一) 原告の右主張(一)のうち、操が昭和三四年一二月八日肺結核のため千石荘へ入院し、昭和三六年三月三一日同荘を一時退院したこと、同人が同日それまで住民登録をしていた奈良市西大寺町三二六番地から本件場所へ転入届を行い、同年四月三日同荘へ再入院したこと、原告主張の選挙人名簿及び国民健康保険対象者調査票に同人の記載がないこと、同人が入院手続の際及び離婚調停申立の際に住所として原告主張のとおり届出ないし変更の届出をしていること、同人の実父清作が原告主張の入院費及び生活費の一部を負担したこと(但し操自身においても支出している)、同人が実子保之を実父清作方に預けていたことはいずれも認めるが、その余の事実は争う。
(二) 同(二)の主張のうち実父清作が健康保険法上の被保険者であつたことは認めるが、その余の事実を争う。
(三) 被告が操の住所を本件場所にあると認定した根拠は次のとおりである。
1 操は昭和三三年四月ごろ夫山村俊彦と別居して奈良市西大寺町から本件場所にある吉見電機工業の社宅に移り、同年九月二二日から実父清作の経営する右会社の社員として勤務していた。従つて、昭和三三年度分及び三四年度分の給与所得者の扶養控除(異動)申告書を西成税務署へ、被扶養者届を難波社会保険出張所へそれぞれ提出しており、その住所欄にはいずれも本件場所が記入されている。同人は右社宅に居住していた昭和三四年一二月八日までの間に附近の珠算学校や自動車学校などに入学しており、これらの事実からみれば、奈良市に住民登録がなされていたにもかかわらず、右社宅に生活の本拠を有したことは明らかである。
2 同人はこれより以前の同年六月に右会社を退職していたが、同年一一月三〇日突然喀血し、肺結核と診断されて同年一二月八日千石荘へ入院した。しかし、同人は入院中も病気が治癒すれば右社宅へ帰る意思を有し、入院中の住所をなお本件場所としていた。そのため社宅内には同人の家具や衣類がそのまま保管されており、また実父清作においても操が退院後に社宅へ戻り再び右会社の社員として勤務することを認めていたのである。
3 同人は、昭和三六年三月三一日、翌四月一日から原告の行う国民健康保険の被保険者となるため、一応千石荘を退院してて、西成区役所に転入届をするとともに国民健康保険の被保険者となる旨の届出をし、同月三日再び入院した(同人が本件場所に居住の意思を有していた以上、転入届及び被保険者資格の届出を同区役所にしたのは当然であつて、一時退院もそのための手続上の必要によるものである。原告主張の偽装転入云云は事実無根も甚しい)。その後原告から被保険者証の交付申請を却下する旨の通知があつたが、同人は昭和三七年五月一六日には住民票の交付を受け、同年六月一八日には原告の調製した補充選挙人名簿に登録され、同年七月一日の参議院議員選挙の際、選挙権を行使している。
4 以上の事実を総合すれば、操は前記会社の社宅に居住していた期間はもとより、入院中も引続き右社宅を住居と定めてそこに定住する意思を有していたことが明らかであるから、本件被保険者証交付申請当時の同人の住所を右社宅の所在地である本件場所と認定した被告の判断は正当である。
(四) 原告引用の国民健康保険法第六条第四号にいう「健康保険法の規定による被扶養者」とは現実に健康保険法上被扶養者と認定されそのように扱われている者を指すのであつて、単に同法上被扶養者として扱われるべき者というだけでは国民健康保険法の適用は除外されない。しかるに、操は同法の施行以来健康保険法上の被保険者である実父清作の被扶養者として現実に認定されておらず、かつそのように扱われていないのであるから、仮に実質的にはそのような関係にあるとしても、国民健康保険法の適用を除外される被扶養者には該当せず、この点に関する原告の主張は理由がない。
第三証拠関係<省略>
理由
一、請求原因(一)(二)の事実は当事者間に争がない。
まず、国民健康保険の保険者である市町村及び特別区または国民健康保険組合が国民健康保険審査会の裁決を不服としてその取消を求めて出訴する権利を有するかどうかについて考える。
国民健康保険の被保険者その他の利害関係人が保険給付に関する処分(被保険者証の交付の請求に関する処分を含む)または保険料その他国民健康保険法の規定による徴収金に関する処分を不服として国民健康保険審査会(以下審査会という)に審査請求をし、その結果裁決により右請求が認容され、原処分が保険者に不利益に変更された場合に、保険者が裁決を争つて出訴できるかどうかについては法律に明文の規定がなく、いずれとも断じがたいのであるが、国民健康保険の保険者である市町村等は一般被保険者から保険料を徴収し、かつこれを被保険者全員のために保管するものであり、主として右保険料の中から給付事由が生じた場合に支給すべき保険給付に充てられるものと解すべきであるから、保険者は常に保険給付が適正に行われるか否かについて利害関係を持つているし、しかもこれが適正に行われるよう図るべき職責を持つものである。従つて、審査会の裁決が国民健康保険事業の運営上適正を欠き保険者の法律上の利益を害すると思料する場合にも保険者が裁決を争つて裁判所に出訴できないものとすれば、保険者として右職責をつくすことができないばかりでなく、保険者から処分を受けた者に出訴権が与えられているのに比し甚しく均衡を失する結果となる(原告引用の東京高裁昭和三〇年一月二七日判決参照。保険者から処分を受けた者以外の一般被保険者は保険者の処分を不利益に変更した審査会の裁決に不服であつても出訴することができないから、他の一般被保険者全体の利益を保護する道が閉されることとなる)。国民健康保険法第一〇三条は保険給付等に関する処分を受けた者の側から出訴する場合の審査請求前置を規定したものであつて、右のような結果(均衡を失する)を容認しているとは考えられず、結局、後記のような他の見地(当該不服申立制度が設けられているそもそもの目的ないし行政組織の特色)から出訴権を否定される場合にあたらない限り、保険者にも審査会の裁決を争つて出訴する権利が与えられているものと解さなければならない。
なお、このように解するのは次の理由にもよる。というのは、保険者がなす国民健康保険事業のうち保険給付等に関して行う処分(法第九一条にいう処分)の如きは被保険者等地域住民に対し一方的優越的に義務を課し、法律関係を設定する等一般行政庁の行う行政処分に類する性格を有する一面のあるところからこの面のみからみれば保険者は行政庁(行政庁に類する)であるからである。だから、処分者たる行政庁が自ら当事者として訴を提出することは法律に特別の規定がない限り許されないのではないかとの疑問も生じないわけではない。しかし、他面国民健康保険の保険者たる市町村等は国民健康保険事業を経営する権利義務の主体たる地位を元来法により当然有しているのであつて、保険者が行政庁たる性格の面においてなした処分の結果としてかゝる権利義務の主体たる地位を与えられるに至つたものではない。従つて保険者は与えられたのではなくて本来(法により)有するこの権利義務の主体たる地位と、処分者たる行政庁としての面(性格)を有するものとみられる。この権利義務の主体たる地位の面からみて、その有する権利義務に利害関係を持つならば、権利又は利益の救済のためにその地位に基いて保険者は訴訟当事者として出訴するについて何らの制限を受けないものと解するのが相当であるからである。
ところで更に考慮すべきは、他の見地(当該不服申立制度が設けられているそもそもの目的ないし行政組織の特色)から出訴権を否定される場合があることである。すなわち、一般に(一)違法な行政処分により侵害された国民の特定の権利または利益の救済そのものが目的とされているような不服申立の場合には、権限ある行政庁のいずれかが行政庁側の非を認めて国民の権利を救済してやればそれでその目的は達成されるのであるから、処分庁が審査庁の判断を不当としてさらにこれを争うことを認める余地は存せず、また(二)行政庁相互間たとえば審査庁と処分庁との間に上級下級の一般的指揮監督関係がある場合にも、相互に上級下級の関係において命令の統一を期する行政組織の特色上、その間の紛争は行政組織内部の解決方法に従うべきであつて、その間に裁判所の判断を容れる余地がなく、右(一)(二)の場合にはいずれも処分庁が審査庁の裁決を不当として出訴することは許されないものといわなければならない(被告が本案前の主張において一般論として述べるところは、右のような限定を附してのみ是認され得る)。
そこで、本件が右(一)(二)の場合のいずれかにあたるかどうかについて考えるのに、国民健康保険法によれば国民健康保険審査会は保険者のなした保険給付等に関する処分に対する不服申立を審査する機関として各都道府県に設置されたものであるが、審査事務自体は国の行政事務であり、審査会が同法第四条第二項により必要な指導を行う都道府県や同法第一〇八条及び第一〇九条の限度において保険者に対し監督権を行使する都道府県知事とは別個の機関であることはもとより、審査会と保険者(前記の如き二面の性格のいずれにおいても)とは上級下級の関係にあるものではなく、その間に一般的な指揮監督関係は存しない。殊に審査会が被保険者、保険者及び公益を各代表する各三名の委員をもつて構成され、表決にあたり可否同数のときは公益代表委員の一人である会長の決するところによるとされている点に照すと、審査会は保険者と被保険者その他の利害関係人との間の紛争を第三者的な立場から処理する裁定機関としての実質を有し、単に特定の被保険者その他利害関係人の権利ないし利益の救済そのものを目的とする不服申立制度とはやや性格を異にするものといえる。
そうだとすれば、前記(一)(二)のいずれの場合にも該当せず、結局国民健康保険の保険者は審査会の裁決により現実に保険者としての利益を侵害される限り、その取消訴訟を提起することが許されるものと解すべきであり、本件においても原告が被告の決定に従うならば訴外操の負担すべき療養費の大半を給付する義務を負うこととなり保険者としての利益を侵害されることが明らかであるから、本訴は適法といわなければならない。よつて、被告の本案前の主張は理由がない。
二、そこで、本件についての判断に進み、操が原告の行う国民健康保険の被保険者資格を取得した旨届出た昭和三六年三月三一日以降原告が操に対し最終的に被保険者証の交付の請求を拒否した昭和三七年二月一五日当時までの間、同人が大阪市西成区津守町西三丁目一番地の本件場所に住所を有していたかどうかについて検討する。
(一) 当事者間に争のない事実(請求原因(一)(二)の事実)に、成立に争のない甲第一号証の一、二、同第五号証の一ないし一三、乙第一一、一二号証、同第一三号証の一、二、同第一四号証、証人平岡信勝の証言により真正に成立したものと認められる甲第二号証、真正に成立した公文書と推定する甲第三、四号証、証人西脇アサ子の証言により真正に成立したものと認められる甲第六号証、証人柳沢清作の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証の一ないし四、同第二号証の一ないし三、同第三ないし第九号証、証人柳沢操の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証、証人平岡信勝、同西脇アサ子、同葉山寿春、同柳沢操、同柳沢清作、同柳沢八重子、同吉崎和江の各証言及び弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実が認められる。すなわち、
1、操は昭和二八年二月三日二一才で山村俊彦と結婚し、当初は夫の実家のある奈良市において、次いで同年一一月ごろからは当時大阪府泉南郡田尻町にあつた実父清作の経営する吉見電機工業株式会社の社宅において同居していたが、昭和二九年一一月一五日同社が本件場所へ移転するに伴い、夫とともに同社の事務室に隣接して設けられた主として住込工員のための社宅の一室に移り、自らも同社に勤務したこと、昭和三〇年八月下旬ごろ同社をやめて夫とともに奈良市三条町に転居し、さらに昭和三一年九月ないし一〇月ごろ同市西大寺町三二六番地に移り、同三二年三月一九日その旨の転入届をしたこと、
2、操は昭和三三年四月一四日婚家先との不和から将来正式に離婚手続をとる意思で夫と別居し、同日嫁入道具である洋服たんす、整理たんす、鏡台、下駄箱各一及び布団等を携えて前記吉見電機工業の社宅の一室(六畳)に移つたこと(主として世間態から同人には実家へ戻る意思がなかつた)、その際話合のうえ二人の子どものうち上の方を夫の側で、下の三男保之(当時生後約八ケ月)を操の側でそれぞれ引取つたこと、同人はそれ以後右社宅に起居し同年五月ごろから同社の資材係として再び勤務しはじめ、そのかたわら附近の珠算塾や自動車学校に通つたりなどしていたが、昭和三四年六月ごろ離婚手続を進めるため裁判所に出頭する必要を生じ、かつ身体の調子もよくなかつたため、退職し、同年七月一七日奈良家庭裁判所に離婚調停を申立てたこと(その際住所を奈良市西大寺町三二六番地と記載した)、右退職後は、同年中ごろから三男保之を当時大阪府泉北郡高石町にあつた実家に預けた関係もあつて、実家を訪ねる機会が多く、また神戸の親戚宅にしばらく泊つたこともあるが、依然として主に右社宅の一室に起居して離婚手続を進める一方、工員のための賄を手伝つたりしていたこと、当時同人としては離婚成立の際に本件場所へ転入手続をするつもりで、大阪市の選挙人資格調査の際にも届出なかつたこと、
3、操は昭和三四年一一月三〇日実家へ向う電車の中で突然喀血し、医者に肺結核と診断されたため、実家で約一週間静養した後、同年一二月八日実父清作を身元引受人とし全額自己負担で大阪府貝塚市名越町所在国立療養所貝塚千石荘へ入院したこと、その後同荘で療養を続けていたところ、昭和三六年二月ごろから患者間で国民健康保険が話題となり、同人は原告の行う右保険に加入するため、同年三月三一日一時退院の手続をとつたうえ、同日西成区役所に出頭してそれまで住民登録のなされていた奈良市西大寺町三二六番地から本件場所へ転入届をするとともに同区役所保険課に原告の行う国民健康保険の被保険者資格がある旨届出たこと、右退院手続は転入届をするのに米穀通帳を必要としたためにとつた便宜的な手段であつて、実際に同荘を退院する意思はなく、同荘側でも予めその旨を諒承していたこと、従つて同人は三日後の同年四月三日再び同荘へ入院し、結局昭和三八年三月一〇日退院するまで同荘で療養生活を続けたこと、
4、操の入院当初(昭和三四年一二月八日頃)の病状は千石荘の入院患者が重症から軽症順に一度ないし六度に分類されるうちの三度に該当し(一度ないし二度の患者は数年間の入院療養が必要とされた)、軽い喀血と血痰があつたこと、当初の診断では一年位で退院できるとの話であつたが、延び延びとなり、その間に昭和三五年八月二八日を最初としてその後毎月一回位実家へ外出し、昭和三六年二月一〇日及び一一日にははじめて実家で外泊したこと、同年九月二一日同荘から退院を勧められたが、退院せず、さらに同年一二月一日には歩行及び作業を勧められたこと、同年一〇月ごろからは毎月一回位主として実家で外泊して(社宅に泊つたこともあるが、回数は少い)、離婚問題及び本件被保険者証交付請求の解決に奔走し、その結果昭和三七年一月二五日離婚が成立したが、後者が解決しないため、これが解決次第退院する旨同荘に伝えていたこと、公的な届出等については、原告が国民健康保険の実施に先立ち昭和三五年二月一日現在で行つた全市民の悉皆調査の調査票に同人の記載がなく、また昭和三三年以後の大阪市の選挙人名簿にも登載されていなかつたが、前記のように昭和三六年三月本件場所へ転入届をし、昭和三七年五月一六日西成区役所から住民票の交付を受けたほか、同年六月一一日現在で調製された大阪市西成区の補充選挙人名簿に登録され、同年七月一日の参議院議員選挙の際同区において投票したこと(但し同年九月一五日現在で調製された同区の基本選挙人名簿には再び登載されていない)
5、操は入院期間中を通じて、病気が治癒して退院する際には吉見電機工業の社宅に帰り、再び同社に勤務する意思を持つており、実父清作においてもこれを暗黙に諒承していた模様であること、
6、操は入院に際し右社宅から布団、毛布その他「こうり」にはいる程度の着替え類を持参しただけで他の家具類を右社宅に残していたが、同人が入院前に居住し退院後に帰住すべく予定していた部屋はもともと住込工員(寮生)の食堂兼用として使用されていたもので、同人の入院後には同社の工員が起居するに至り、さらに昭和三五年一二月一八日実家が前記高石町から大阪府南河内郡美陵町へ移転するに伴い、従来右社宅内に住込んでいた実父清作が同所を引揚げ、そのあとに実妹和江夫婦とその子どもが転居してきたため、全体的に相当手狭となり操の残してきた家具類は主として板敷の廊下に保管されていたこと、従つて、当時すでに同人が退院後に右社宅に帰つたとしても長期にわたり居住できる状態にはなく、現に同人は昭和三八年三月退院後一旦右社宅に帰り、実妹夫婦が増築した簡易な組立式の部屋に起居していたが、二、三ケ月後には大阪市浪速区内のアパートに転居したこと、
7、操は夫と別居後夫から全く経済上の援助を受けておらず、かつ管理すべき資産はもとより前記会社を退職後は特段の収入の道もなかつたため、引取つた三男の養育費用を実家に負うたほか、入院費用についても当初そのごく一部を自己の所持金でまかなつただけでその後は実父清作の負担するところとなり、別に小遣銭として一ケ月金二〇〇〇円程度の仕送りを受けていたこと、昭和三六年一二月ごろ大阪市西成区福祉事務所に生活保護の申請をしたが、本件場所に住所がないとの理由で拒否されたこと、
前掲各証拠中右認定に反する部分はにわかに採用しがたく、他に右認定を覆えすにたりる証拠はない。
(二) ところで、人の住所とはその「生活ノ本拠」(民法第二一条)を指し、どこがそれに当るかは主として生活の本拠と認めるべき客観的事実の有無によつて決すべきものであり、人がその場所を住所とする意思を有するか否かは他の事情とともに右の客観的事実の有無を判断するにあたつて考慮されるべき一資料に過ぎないものと解するのを相当とする。すなわち、ある場所を自己の住所とする人の意思なるものも社会生活の客観的事実の中で裏付けられない限り住所として認められないものといわなければならない。本訴で問題となつている国民健康保険法第七条の住所の概念についても右と別異に解すべき根拠は存しない。
そこで、右の観点から前記認定事実を前提としての操の住所の所在について考えるに、同人が昭和三三年四月夫と別居して本件場所に移るに至つたのは同人の側で婚姻関係の継続を断念した結果であり、同人には将来夫のもとに復帰する意思が全くなく、昭和三四年一二月入院するまでの期間主として吉見電機工業の社宅の一室で起居し、その大部分を同社に勤務して独立の家計を営んでいたのであるから、法律上離婚が成立しておらず、従つて本籍及び住民登録が夫のもと、すなわち奈良市にあり、また大阪市の選挙人名簿に登載されていなかつたなどの事情があつたとしても、同人の右別居後入院までの生活の本拠はもはや夫のもとにはなく、本件場所にあつたとみるのが相当である。
問題は昭和三四年一二月から昭和三八年三月までの千石荘に入院療養中の期間であるが、前記認定事実によると、操は右期間中本件場所を自己の住所とする意思及び退院後同所へ復帰する意思を有したことが一応認められる。しかしながら、いまだ右意思の実現ないし裏付けと認めるにたりる客観的事実を伴わないものといわざるを得ない。すなわち、同人の主たる家具類は依然としてもとの社宅内に保管されており、かつ右社宅管理の実権を持つ実父において同人の社宅への帰住を暗黙に承認していたものの、原告の国民健康保険発足の当時(昭和三六年四月一日)すでに同人が退院後に社宅に帰つたとしても、一時的な滞在はともかく、相当期間にわたつて居住し得る状態にはなかつたのであるから、同人の帰住の意思がたやすく実現される客観的な条件を欠いていたものというほかなく、また補充選挙人名簿に登載され参議院議員選挙の際大阪市において選挙権を行使したことについては、その前後の大阪市の基本選挙人名簿に登載されていない事実に徴すると、むしろ当時審査請求の段階で争われていた本件の有利な展開を図るために意識的に利用したとみられる節がないではなく、もとより本件場所に住民登録がなされているからといつて、それだけで直ちに住所として認められるわけのものではないことはいうまでもない(この点で被告の決定は住民登録の所在を重視し過ぎたきらいがある。殊に、原告が操の住民票を消除しないでその謄本ないし抄本を同人に交付したのは原告において同人が本件場所に住所を有することを認めていたものであるとの趣旨の部分は、今日の大都市における住民登録事務の実態及び各行政事務毎の住所認定の不統一な実情に対する認識を欠いたものといえる)。従つて、結局これらの事実だけでは、いまだ操の意思を裏付け、本件場所を同人の生活の本拠と認めるべき客観的事実としては十分でないものといわなければならない。
かえつて、前記認定事実によると、操の病状は当初から決して軽症であつたわけではなく、原告の国民健康保険発足当時すでに入院後約一年四ケ月を経過しているのに治癒による退院の見込みがたつておらず、なお相当期間にわたる療養の必要が予測され、かつ現実にその後約二年間療養を続けていたのであるから、結局長期療養を要する客観性が十分認められたものといえる。そのうえ、同人は入院前に夫と別居して離婚手続中で(後に入院中に離婚が成立した)、引取つた子どもを実家に預けていたため、前記吉見電機工業の社宅内には現実に扶養ないし共同生活をしていた家族もおらず、単身者と同様の状態にあり、かつ自己の独立した生業や管理すべき資産を持つていたわけでもないので、しばしば右社宅に帰る必要もなく、またそのような事実もない(せいぜい着替え類の不足分を取りに帰つた程度)。このような事実関係に照すと、操の市町村住民としての生活は少くとも昭和三六年四月原告の国民健康保険実施当初から昭和三八年三月退院までの期間に関する限り入院療養中の千石荘を中心として営まれていたものというべきであり、同荘の所在地こそ同人の住所にほかならないと解するのが相当である。一時退院の事実は、右退院手続が前記認定のような事情から行われた以上、何ら右認定に影響を及ぼすものではない。
三、そうだとすれば、操が被保険者資格を取得した旨届出た昭和三六年三月三一日以降原告が操に対し被保険者証の交付の請求を最終的に拒否した昭和三七年二月一五日当時までの間、同人は大阪市の区域内に住所を有しなかつたのであるから、同人には原告の行う国民健康保険の被保険者資格がなかつたものといわなければならない。従つて、同人が大阪市の区域内に住所を有することを前提に原告の右処分を取消し同人の審査請求を認容した被告の決定は、その余の点について判断するまでもなく違法であり、取消を免れない。
よつて、原告の本訴請求は理由があるので、これを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石崎甚八 潮久郎 安井正弘)